これをご覧になっている皆様は、「ピッチ」と呼ばれていた「PHS」という通信サービスをご存じでしょうか?
PHSが開始されたのは1995年です。30代後半以上の方であれば、学生の頃に携帯電話よりも割安なサービスとして使った経験があるかもしれません。
また、主に病院や工場などで内線携帯電話として普及していたことから、これらの業界で働く方にとっては親しい存在かもしれません。
しかし、公衆向けのPHSサービスは、2021年1月31日に終了しました。現在でも内線通話専用として、自前のPHSを利用している施設は多く存在します。
しかし、パブリックサービスが終了したPHSが今後発展する可能性は薄く、他のサービスへの乗り換えを検討されている方も多いのではないでしょうか。
「PHSがなくなってもスマホとWi-Fiがあるから問題ないのでは?」と考える方も多いかと思います。
ここからは、業務用としてなぜPHSが選ばれていたのか、そしてその役割を引き継ぐ新通信サービス「sXGP」について語っていきたいと思います。
この記事のインデックス
なぜPHSが選ばれていたのか?
働く人々がPHSを必要とした理由はいくつかありますが、主に以下の2つが大きな要因でした。
- 他の電波を発する機器との親和性
- 建物の中でも電波が届きやすく、通話品質が高い
特に医療機関でPHSの利用が多かったことが挙げられます。
その理由は、Wi-Fiがよく使用する2.4GHz帯との電波干渉問題です。医療用テレメーターやペースメーカーなど、電波干渉が発生すると非常に危険な機器が多く存在したためです。

そのため、電波干渉が少なく、高速なWi-Fiを設置するために、5GHzを選択していました。
しかし、5GHz帯は一見多くのチャネルがあるように見えて、気象レーダーや航空レーダーなどのことを考慮すると、実質使用できるチャネル数が少なく、遮蔽物に弱いというデメリットがあります。
これらを総合的に考慮すると、通話は電波干渉が少なく施設内でも電波が届く自前のPHSを使用し、電子カルテやその他の情報はWi-Fiか有線接続が可能なPCを載せたカートを使用するという選択肢に収束します。
PHSに生じた課題
PHSは個人向けよりも法人向けの普及がより進んでいました。PHSは省電力の特定用途向け無線局であり、免許不要であったため、施設向けの自前基地局が広まりました。
しかし、スマートフォンの普及とインターネットの高速化の進行により、携帯端末がより豊富なコンテンツを扱う能力が求められるようになりました。
PHSはあくまでも通話専用であり、情報交換はタブレットやノートPCを併用するか、通話を含めた全ての機能をスマートフォンに移行するかという選択を迫られる状況となりました。
この状況に対応する形で現れたのが、PHSの電波帯1.9GHzを使用するsXGPという新しい通信規格です。
sXGPがPHS&スマホの代替となる
再度強調しますが、PHSのサービスは2021年1月に終了しました。リモート監視などに使用されていたテレメタリングサービスも2023年3月に終了しました。
「では代替サービスとしてWi-Fiはどうか?」と考える方も多いかもしれません。
しかし、「sXGP」がPHSの代替として注目されているのは、以下の特徴がその理由です。
sXGPはTD-LTE(Time Division duplex Long Term Evolution)互換であり、「プライベートLTE」もしくは自営網(企業の自社専用ネットワーク)として利用可能な通信手段です。対応したスマートフォンにSIMカードを提供することが可能です。
sXGPがTD(時分割多重)と呼ばれるのは、5MHzの周波数帯域を上りの通信と下りの通信で時間を分けて共有するからです。
sXGPの速度は、帯域幅が狭く、上りと下りで共有するため、理論値で下り約14Mbps、上り約4Mbpsとなります。
一方、私たちがよく知る4G-LTEはFD-LTE(Frequency Division multiplexing、周波数分割多重)が主流となっており、上りの通信と下りの通信で別々の周波数帯域を使用することで高速通信を実現しています。
4G-LTEよりは速度が遅いsXGPですが、通話が主な用途であれば問題のない速度です。



安定して広域をカバーできる
sXGPは、一つのアクセスポイントで広範囲をカバーできます。
電波は基本的に直進し、障害物がなければ距離に応じて弱まります。

電波の特性は物質によって変わります。例えば、金属では電波が反射しますが、ガラスや木などは電波を透過し、物体の向こう側にも電波が届く性質を持っています。
そして、電波の性質は周波数にも強く依存します。高い周波数では遮蔽物に弱く、電波の減衰も激しくなります。反対に、低い周波数では反射はするものの、電波がより遠くまで届く傾向にあります。
つまり、sXGPが採用している1.9GHz帯は、Wi-Fiと比べて電波干渉を受けにくい特性を持つため、広い施設や機器が多い工場などでも安定した通信が可能です。
さらに、sXGPは一つの基地局あたりの収容台数が多いという特徴があります。PHSが一つの基地局で3台の接続が可能だったのに対し、sXGPでは一つの基地局で32台の接続が可能です。
その結果、少ない基地局でも広範囲をカバーすることができます。
途切れにくい
また、sXGPは移動中の通話やデータ通信が途切れにくいという特性を持っています。
この特性は「ハンドオーバー」という技術により成り立っています。ハンドオーバーとは、接続ユーザーの端末が通信中にあるセルから別のセルへ移動した際に、自動的に基地局を切り替えて通信を継続する技術です。
Wi-Fiでは標準的に使用されるハンドオーバーは、端末主導で切り替えを行うため、通話やデータが途切れることがあります。
しかし、sXGPやPHSでは端末からの周辺基地局情報に基づき、基地局が連携してハンドオーバー処理を制御します。その結果、移動中でも通話やデータ通信が途切れることが少ないという利点があります。
よりセキュアな通信ができ、災害時にも活躍
sXGPによる自営網の構築は、PHSと同様にオンプレミス型の配置となります。これにより、インターネットが繋がらない非常時や輻輳時でも、安定した通信環境を維持できます。
sXGPはSIM認証と暗号化技術を採用し、閉域網による高いセキュリティ性を提供します。これにより、極めてセキュアな通信環境を構築することが可能です。
クリアな音声コミュニケーション「VoLTE」
sXGPでは、IMS(IP Multimedia Subsystem)サーバーを設定することにより、「VoLTE」を使用して音声通信を行うことが可能です。
「VoLTE」は、広い音域を扱うことで音声のクリアさを実現し、QoS(Quality of Service)保証による優先制御や帯域確保により、他のデータ通信よりも優先して制御されます。
音声通信と言えば、VoIP(Voice over IP)がよく知られていますが、従来のVoIP方式はネットワークの混み具合によって通話品質が影響を受けやすく、専用アプリを使う必要がありました。
これを標準アプリで携帯電話と同様に使うことができるのが、VoLTEの大きなメリットです。
VoLTEはスマートフォンの他のアプリケーションが稼働中でも必ず割り込むため、VoIPで起こりやすい着信時の問題やアプリケーション間の競合が発生しません。
通話終了後は自動的に元のアプリケーションの動作が再開する、という特性もあります。
さらに、PBXとの接続についても多くのメーカーとの互換性が確認されており、既存の設備からの移行もスムーズというメリットがあります。
今後の動向
総務省は2023年度秋頃を目処に、PHSで使用していた周波数チャネルを新たにsXGPやDECTに割り当てることを決定しています。
sXGPは「Shared Xtended Global Platform」の略で、他の無線方式と同じ周波数帯域を「共有」する通信方式です。
したがって、同じ周波数帯域には、自営PHS、コードレス電話、ワイヤレスマイクなどに使われるDECT(Digital Enhanced Cordless Telecommunications)の割り当てが存在し、sXGPには既にF0、F1、F2というチャネルが割り当てられています。
実際には、DECTや自営PHSが存在する施設内でsXGPが効果的に利用できるチャネルは、図中のF2、新たに追加されるF3、F21辺りとなります。
sXGPは現在の5MHz幅から10MHz幅に拡張するため、下りで最大28Mbps、上りで最大8Mbps辺りまで速度アップする予定です。

ソフトバンクグループの戦略
国内のベンダーでは特にソフトバンクグループがsXGPに力を入れており、子会社のビー・ビー・バックボーンが展開するsXGPサービスでは、2023年4月からiPhoneやiPadでの利用が可能となりました。
前述の通り、sXGPでは1.9ギガヘルツ帯(Band 39)を使用しますが、iPhoneは元々これに対応しており、さらにビー・ビー・バックボーンのsXGP専用プロファイルを共同開発したとのことです。
ビー・ビー・バックボーンはSIMカード以外にeSIMも提供しています。
iPhoneにこのSIMをセットアップすると専用プロファイルをダウンロードし、sXGPに必要なパラメーターを自動的に適用するようになっています。
周波数もBand 39にロックされ、圏外から戻る際にもピンポイントで圏内復帰できるため、バッテリーの持ち時間が大きく改善しているとのことです。
ビー・ビー・バックボーンのsXGPについて詳しくはこちら
医療DX、製造業DXにおける活用事例
特に医療機関や工場などでは、sXGPを含むプライベートLTEの利用が進んでいます。
例えば病院では、オペ室やICUからのナースコールなどでクリアな音声を提供するだけでなく、カメラ映像や電子カルテ、PACSなどの情報をプライベートLTEを通じてやりとりする事例が見られます。
さらに、工場ではセキュアな通信を可能にし、電波が広範囲に届くプライベートLTEを活用して、スマートファクトリー化を推進する事例が増えています。
結局どの方法を選択すべきなのか?
ローカルエリアの無線通信技術としては、他にもWi-Fi6Eやローカル/プライベート5Gなど、多様な選択肢が存在します。
そのような中でもプライベートLTEのメリットは、何よりも、免許不要で手軽にプライベートネットワークを構築できる点にあると言えます。

たとえば、事故や災害などで公共交通機関が止まったとき、果たして既存の携帯電話は繋がるでしょうか?
きっと乗客が一斉に携帯電話で通話や通信を始めるため、交通機関のスタッフ同士の連絡がスムーズにできるとは思えません。
また、事故や災害に限らず、多くの人が集まるスタジアムなどでも携帯電話網の混雑の影響を避けることができるのがメリットと言えるでしょう。
ローカル5Gには免許が必要で導入には大きなハードルがありますし、プライベート5Gがあるとはいえ、そこまで大げさなスピードや低遅延がすべての課題解決に求められるわけではありません。
コストが抑えられるプライベートLTEからローカル5Gへとリレーする使い方も提唱されています。使用するユーザーの目的に合わせて、適正な品質・価格で課題解決することこそ、顧客ベネフィットの最大化に繋がるのではないでしょうか。
様々なシーンでBCP策定が重要となる
日本国内の多くの業種において、事業継続計画(BCP)の策定がますます重要となっています。BCPは、自然災害、パンデミック、サイバー攻撃など、予期せぬ事態が発生した際に、事業を継続し、また最小限のダウンタイムで元の状態に戻すための計画です。
事業継続計画(BCP)の策定において、通信環境のバックアップは極めて重要な要素となります。現代のビジネスは、インターネットと通信技術に大きく依存しており、その中断は事業活動全体に深刻な影響を及ぼす可能性があります。
BCPについて考えるとき、つい電源の対策に焦点を当てがちですが、電源があっても通信ができなければ意味がありません。
災害やサイバー攻撃で外部の通信手段やクラウドが利用できない状況を想定し、自施設内で稼働できるインフラを準備しておくことも重要です。
特に大型の施設では、スタッフ同士のコミュニケーション手段が公共のネットワークとは切り離して使用できることが大きなメリットとなるでしょう。