※この記事のアイキャッチ画像は、DALL·Eで生成しました。
人は誰しも、一定の概念の中に生きています。
概念とは「〜とはこういうものである」、「〜がこうなのは当たり前だ」というようなことです。
今回はその思い込みのようなものがどういうところからやってきて、どのように意識を支配しているのか、そして、自分を客観的に認知するために有効な「メタ認知」の方法について記事を書きました。
この記事のインデックス
「それはそういうものだ」という概念に囲まれている世界
私は中学生の頃に方程式が解けなくて辛い思いをしました。
それは数学が苦手だったということではなく、数学の概念を疑っていたということです。
たとえば、方程式が「x=1+2」と書いてあれば「x=3である」という答えが成り立つのはおかしいということです。
だって、「x=3」なのであれば世の中にはxのみが存在していればよくて、3は無くてもいいんじゃないかと思いませんか?
先生から見た中学生の私は、屁理屈をこねるタイプで面倒くさい子供だったと思います。
しかしその頃の私は、素直に「なぜ、英語と数字が同じなんですか?」と尋ねました。私はシンプルに、xは3と等しいという数学の概念が理解できなかったわけです。
このときに先生から贈られた言葉は「それはそういうものだと覚えなさい」でした。
私は「なぜ、みんなはこんなに違うものを同じだと受け入れることができるのだろう?」と思ったのです。
そして結果的に、「これは他人と自分の感覚の違いなんだ」と受け止めることにして自分を納得させたのです。
後に分かったことは、私はx=3を理屈で理解しようとしており、みんなはそれを感覚的に理解しようとしているという違いがあったのです。
先生や学校からすれば、そんな風にいちいち授業を中断するような人物はとても迷惑だったと思います。
その疑問が授業を非効率化してしまうからです。
案の定、そこで引っかかってしまった私は、それ以降みんなに置いていかれ、今に至るわけです。
中学生の私は、文字と数字がイコールだなんて適当な基準が成り立つのなら、世の中は何も考えずに生きるほうが楽だし、何でもありだなと思ったことを覚えています。
人の偏見はどこから来るのか?
たとえば、松屋の牛丼と吉野家の牛丼がイコールなら、世の中にはどちらか一方があればいいわけです。
しかし、実際には、いずれか片方を好む方やその時の気分によってお店を選ぶ方が存在します。
もし、サンマが嫌いな方がいたとして、「マグロが食べられるのであれば、どちらも同じ魚なんだし平気でしょ?」という理屈は成り立たないわけです。
アンコンシャス・バイアスとは?
アンコンシャス・バイアスとは、自分では気がついていない偏ったものの見方のことです。知識、価値観、過去の経験などにより発生します。そのため、アンコンシャス・バイアスの具体的な内容は、人によってそれぞれ異なります。
シンプルに言えば、私たちが使っているコンピュータも0と1というたった2つの概念で違いを表現しているだけです。
そんなものが人間と似ていて、いつかは人間と入れ替わってしまうと言っている思想もあるわけです。
しかし現実は、コンピュータが人間に合わせてるわけではなくて、人間がコンピュータに合わせています。
実際に人間とはそんな簡単なものではなく、もっとコンニャクみたいに柔らかくて、環境や他人と混ざり合ってもっと精密に適応できる能力を秘めているわけです。
量子コンピュータの概念ならもっと人間に近づけるのかもしれませんが、それ故に実現したところでどうやって活用したらいいのか答えが出ないのが現状です。
こちらはバイアスについて、さらに詳しく解説した記事です。
他人を同じにするのが人間の本能
人はすぐに概念にとらわれ、そして変わるチャンスを逃してしまいます。人は本能ですべての似通った物事をイコールにしてしまうものなんです。
これまで自分がやってきたやり方を概念として、その殻から出ようとしない人。
ビジネスのフォーマルな概念にとらわれて、インフォーマルな格好の方を近寄りがたいと考えてしまう方。
しかし実際には、いずれも相手の社会的地位が高いという理由で好意的に受け入れてしまう傾向があるそうです。
つまり、これがいわゆる偏見です。
このように、他人をあるセグメントにはめ込み、それを同じ先入観で同じような評価をしてしまうのは自分の概念であると言うことができます。
もちろん、経験を伴ったロジックは重要ですが、ロジックと共に重要なのは「ファクト」です。
数学的に考えれば、ロジックとは「数式」、ファクトとは「数字」にあたります。その両方がそろわなければ物事を正しく考え、客観的に相手に伝えることは叶いません。
とはいえ、相手の都合で切り取られたデータに踊らされるのも違うと思います。
ミクロのデータのみを鵜呑みにするのではなく、ちゃんとマクロのデータを取り、似通った他の物と比較する癖をつけるべきです。
あるショッピングサイトで、同じ商品を買った人の理由は皆同じでしょうか?
あるアパレル店舗で、同じ形の同じ柄の服を買った人の理由は皆同じでしょうか?
消費者の心理は物を購入した時点、つまりインプットした時点では測り知ることは非常に難しい状況です。
それを実際に使ってみて、つまりアウトプットしてみて、その後の行動や感じたことにこそ、心理が隠れているのだと思います。
ですから、その消費者の口コミやどう使ったのかに共感が集まるわけです。
人は自然と概念ではなく、心理を求めて行動しているのです。
つまり、マーケティングとは消費者のアウトプットを読み解くことを求められているのではないかと思うのです。
人の欲求を刺激して概念を操るSNS
SNSに振り回される心理
話は代わって、私はSNSの”いいね”ボタンの承認欲求がとても面白いと考えています。
なぜあんなことのために、人は必死になってお金を使い、体力を使い行動を起こすのでしょうか。
中には金銭的なメリットがあるものも存在しますが、基本的には”いいね”をたくさん取得したからといって、金銭的なメリットは生まれません。
他人が”いいね”を押してくれるのは、あなたを認めているからでしょうか?
夢中になっている人々は皆、相手が”いいね”を押してくれるのは自分を認めてくれているからだという概念に縛られていると思います。
しかし、相手の心理は様々です。
なかには、たくさんの人に”いいね”をすれば自分をフォローしてくれるという返報性の心理を信じる人や、自分が何に対して”いいね”をしたかをフォロワーに見られたとき、センスの良さを感じて欲しいと考える人もいるのです。
人は自分に便益がなければ、わざわざ他人のために動いたりしません。
その便益に、お気に入りの投稿を見たり読んだりすることで、楽しんだり感動したりできるからというユーザーを見つけることが、真に目指すべき”いいね”かもしれません。
しかし、これもあくまでも人それぞれの価値観だといえます。
たとえば、何かを購入しようとした際に他人の口コミを信じ切ってしまうことや、美しい場所に訪れている人を「リッチである」「おしゃれである」と感じることは、他人の表面だけを見て物事を判断しており、「自分はどうなのか?」という大切な価値観をメタ認知できていないと感じるのです。
「ググる」より「タグる」が主流になってきている
「ハッシュタグ」をご存知でしょうか?
ハッシュタグとは、SNS上でユーザー投稿のタグとして使われる、ハッシュマーク(#)が付いたキーワードのことです。このサイトでも、各カテゴリーのトップページでカテゴリーで分類しきれない部分をタグ分類しています。
たとえば、「#fashion」「#ランチ」など日本語や英語のワードと自由に組み合わせることで、投稿内容が何に関するコメントなのかを一言で表すことができるのが特徴です。
同じハッシュタグごとに他の方の投稿を一覧で表示することができるため、特定の話題や同じ興味・関心を持つユーザーの投稿を効率よく閲覧することができます。
ユーザーがハッシュタグを利用する目的は「気になる商品や情報を検索するため」というのが最も多く、多くのユーザーが情報収集を目的にハッシュタグを活用しています。
また、20代以下では「友達の投稿に興味を持ってチェックをするため」に使用するというユーザーも多く、友人のハッシュタグが自分自身の興味・関心に高い影響を及ぼしているということが見て取れます。
そういう私も、美味しそうな料理はグルメポータルサイトより、Instagramでハッシュタグ検索して探すことが多くなっています。
正直なところ、グルメポータルサイトの写真は質が悪く、あまり食欲をそそられないからです。
それよりも、より美味しそうなインスタ映えする料理を探す方が幸せな気持ちになります。
このように、世代というよりはその人々の心理的なセグメントにより、感じるもの、共感するものは異なるというのが真実だと思います。
経験や思い込みに振り回されないことが重要
とてもシンプルに表現するとすれば、それは物事をちゃんと考えるくせをつけることです。
概念に振り回されるとは、頭で考えていないということが原因ではないかと思います。
「〜とはこういうものである」、「〜がこうなのは当たり前だ」といった概念を捨て、人の心理にもっと深くいくことです。
新型コロナウイルスの流行は、ある意味私たちに変化に適応することに対する免疫を向上させたと思います。
前例のあることを基本として、内省をしてアップデートしていくのが従来の考え方でしたが、Afterコロナでは前例のないことに対してアップデートして対応していくことが求められています。
人は過去の経験により形成される価値観で物を見るものです。
ですから、同じ景色を見てもそれに対して感じることや考えること、行動することは人によって異なるのです。
しかし、前例のないことに対応していくためには、自己の経験則だけではなく、今自分が出来ていないことをできている人のメソッドを探求することで導き出すことが大切です。
それが物事をちゃんと考えるということであり、他者を受け入れるということに繋がります。
多くの場合、他者を受け入れることができない理由はネガティブな感情の問題です。自分の中にどんなネガティブな感情があるのかをメタ認知していくことができれば、他者の考えを受け入れることができるはずです。
たとえば、「なぜ自分はこの考え方に不安や恐れを感じているのだろう?」と考えれば、自分がどんな価値観を大切にしているのかが見えてきます。
そうやって、その感情と今現実と向き合って認知しなければならないことを切り離していくのです。
結果、他者の意見から相手の価値観を知ることで、メタ認知した自分の価値観と対比していきます。すると、そこから他者のメソッドが見えてくるわけです。
そのためには様々な声に、自分から能動的に耳を傾けることが大切ですし、最初から自分と相手は”異なる”ということを認知してかかることも大切です。その考え方が根本になければ、相手の価値観へ目を向けることはできません。
対話的学びはとても重要ですし、人間の知的レベルをアップデートしてくれます。自分と価値観の異なる意見があれば、それは自己をアップデートするチャンスと考えましょう。
具体的には、「何かこの人とは価値観が違うから黙っておこう」ではなく、「どうしてこの人はそのように考えるのか?」と疑問を持って耳を傾けることが重要です。
特に間接部門の方は現場と密接な関係性を築くことが大切ですし、すべてを自分の頭で考えるのではなく、自ら動いてみることをお勧めします。
想像や仮説は自己概念の塊ですし、現場にはほんとうにたくさんの真実が眠っているからです。直接顧客と会って会話し、何が相手を動かしているのかについて理解することが重要です。
物事を概念で判断してしまい、そういった勘違いや思い込みが発生することを「誤謬(ごびゅう)」と言います。
「その考えはバイアスがかかっている」などと表現することもあります。
特に私たちマーケターはこういった誤謬(ごびゅう)に振り回されることなく、顧客と向き合い、真実を見抜くことが求められます。
マーケターでなくとも、真実を見抜くことができなければビジネスの発展に大きな影響を及ぼします。
そして誤謬(ごびゅう)に振り回されないためには、顧客のインサイトを見抜くことが重要なのです。
「これはそういうもの」という自己概念を持ってしまうことで、人は誰しもそれ以上深く物事を洞察することをやめてしまいます。
私は「これはそういうもの」という考え方ではなく、「それってそういうことだったんだ!」というヒラメキを得ることに注力したいと考えています。
ロジックとファクトを知るツール
データ分析から効果的な施策を実施していくために求められるスキルとは、目の前の事象を抽象化してそこから定義を見つけ出し、その後その定義を使って仮説を立て、具体的に実行へ移していくことです。
この繰り返しが顧客ではなく、「個客」に近づいてゆくことに繋がるのです。
そして、物事を自分だけの解釈ではなく、他者の解釈も取り入れて考えるためには、自分の評価判断を一旦保留にする癖が必要です。
単に知識だけを求めていると、いつの間にか自分の経験則で事実を変換して見てしまうんです。
人間は誰しも、放っておけば見たいようにしか世の中を見ません。そのズレた認識のまま学んでも、それは成果に直結しません。
その際に取り入れて欲しいのが、実際のデータと他者の行動を見ながらメタ認知していく手法です。
これらのツールは常に顧客とのタッチポイントをデータ化していき、そこに関連した各担当者の考えや行動とその結果を分析していきます。
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